個人的なことですが、食べ物の中では比較的に麺類が好きです。
その中でも、私は福岡出身で、ラーメンには少しこだわりがある方です。
東京に出て来たばかりの頃は、ラーメン店に入り、ラーメンを食べることがあっても、その味の違いに憤り、これはラーメンとは違う食べ物だという気持ちでいただいていました。
海外に出て、何年か帰国できない期間があり、その頃の最も食べたいと切望する故郷の食べ物はなぜかラーメンでした。
他国とは言え、先進国でしたので、ラーメン店がある地域もありましたが、私が望む豚骨でダシを取った福岡地方特有のラーメンなどは当然のことですが、ありません。
国内では、地元以外の地域でも、福岡のラーメンまたは博多ラーメンと称し提供する店はあります。
しかし、どこへ行っても、私が期待する本物の福岡のラーメンを出してくれるところはありませんでした。
その中には、パッケージに小分けされた濃縮スープを購入し、それを店で注文ごとにどんぶりに移し、お湯で溶かして提供すると言う店もありました。
本当の味を求めるのであれば、店の前に立つと、豚骨をその店で煮込んだ匂いがするようなラーメン店でなければならないと、私は思っていました。
ところが、故郷を出て、何十年も経ち、久しぶりに帰った際においしいラーメンを食べたいと思い、探し歩くのですが、なかなかおいしいラーメン屋さんに行き当たりません。
Webで検索し、福岡でも評価の高いラーメン店の上位何軒かを食べ歩いてみましたが、子供の頃食べて、おいしいと感じたラーメンとの出会いはありませんでした。
その考えられる原因に、二つの可能性がありました。
まず一つ目は、時代の流れとともに、福岡のラーメンの味が変わってきたのかも知れないということです。
どのラーメン屋さんも他の競合店に負けないように、競っておいしくしようと日々努力を重ねることでしょう。
そして、一軒の店が慣れ切った味の中から革新的なものを開発し、多くのお客さんがそこに流れて行くと、他の店もその味を追随し、お客さんを呼び戻そうとすることでしょう。
その流れの繰り返しが何年も続く中、伝統の味が少しづつ変化していたのかも知れません。
もう一つは、私個人の経験の積み重ねによって発生した、記憶の変化です。
大人になって、多くの食材と出会い、おいしいと感じるもの、またそうでないと感じるものの幅が広がり、子供の頃の味覚が今と違ってきているのかも知れないと思いました。
もうあの頃の感覚を味わうことはできないのだろうと諦めていたところ、昨年の末にとうとう見つけたのです。
あの頃と同じ香りと味のするラーメンを。
しかも、東京都内で。
競合ひしめく本場の地を避け、味の進化を競い合うこともなく、日々粛々と伝統のレシピを守っていたのではないでしょうか。
歩いていると、その店にたどり着く少し手前から、豚骨を煮込んだあの匂いが漂ってきました。
店に入って確信しました、ここは間違いないと。
カウンターの中ではご夫婦か姉弟か親子か(またはまったくの他人か)といった男女二人が調理しており、ラーメンを注文すると、そんなに待たずにそれが運ばれてきました。
白濁した豚骨スープですが、こってりという表現とは程遠く、さらっとあっさりした私の知っている昔ながらのスープでした。
麺も特有の細麺で、スープを残し、替え玉(麺だけのお替り)をいただいた際は、ポットに入った専用のタレを「どうぞ」と言って出してくれました。
そう言えば、昔の店ではあとから追加するしょう油タレはやかんに入っていて、紅ショウガの入ったケースとともに各テーブルに置かれていた記憶があります。
替え玉を頼んだお客さんは誰に言われることもなく、そのタレをやかんから残りのスープに継ぎ足していました。
博多港近くにラーメン専門の屋台がずらりと並んだエリアでは、のれんをくぐり「ラーメン二つ」などと言うと笑われていました。
地元の人たちは、そこにはラーメンしかないので「ひとつ」とか「二つ」と注文するからでした。
それぞれの人達に好みがあり、並んだ屋台の何番目の「〇〇亭に行きよったい」とか「××軒の方がうまかよ」という話をよく聞いたものです。
さて、何十年ぶりかに出会った本物のラーメンを堪能し、支払いをしようとカウンターの中を覗き込むと、お母さん風の女性が笑顔で「どうでした?」とたずねてきました。
私は迷わず、「子供の時に食べていたのと同じラーメンでした」と応えました。
そして、「福岡なの?」、「そうです」、「私たちもよ」などと言った会話の後、「また来ます」と言って店を出て来ました。
この歳になって、この遭遇は期待以上でした。
大変満足しました。
昼間は仕事があり、なかなか伺うことができません。
もうしばらくはこの味を守っていてくださいと、心から願うばかりです。
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