2021年5月9日日曜日

そば屋の出前

うどんとそばのどちらが好きかと問われると、私は以前はうどん派で、特に博多の昆布で採った香りの良いダシに、太めでコシのない柔らかなうどんが好きでした。

しかし、ここのところ、とは言ってももう十年以上前あたりから、なぜだかうどんよりそばの方が好きになってしまいました。

出しの効いた返しから、コシのあるそばを強くすするのが好きで、その心地よさを何度も長く味わえるように、そば屋では多くの場合もりそばを大盛りで注文します。

まだ経験はないのですが、チャンスがあれば岩手のわんこそばも試してみたいと思っています。


ところで、そばに関わる表現の一つに、適当な返事をするという意味で、「そば屋の出前」という言葉があります。

出前が遅いとそば屋に催促の電話をすると、「今、出ました」という回答が返ってくるものの、まだ調理すらしていないことも珍しくなかったことが転じて使われるようになったそうです。

一例として、会社組織内でも、指示した仕事がなかなか進まず言い訳が多い部下に向かって上司が、「お前はそば屋の出前か?」と発することがあったりします。

しかし、全国の真面目に仕事をしているそば屋さんにとってそれは、はなはだ失礼なお話ではあります。


そう言えば、これは私が社会人になったばかりの頃のことですから、相当昔の話です。

客先からの帰り際に街中を歩いていると、後方で「ガチャン」という大きな音がするので振り返ると、そば屋の出前らしき自転車が倒れていました。

そこには、まだ十代半ばの男の子がしりもちをつき、横たわったオカモチの中で割れたであろうドンブリからそばつゆらしきものが流れ出ていました。

そして、男の子の隣りには止まったタクシーの扉が開いていました。

私は瞬時に状況を悟りました。


出前を届ける途中、歩道とタクシーの間を通り抜けようとした際、いきなり開いたタクシーのドアを避けきれず、自転車の男の子はオカモチごと道路に倒れ込んでしまったようです。

眼前で発生した事象に即時対応できる十分な経験がない程に若く、男の子は座り込んだまま茫然自失の状態。

しかし、私を含め周りの野次馬たちは遠目から見守るだけで、誰一人男の子に声をかけることさえありませんでした。

さあ、これからどうなるのだろうと心配していたのですが、しばらくするとそこに近くの飲食店の女将さんらしき人が出てきて、タクシーの運転手さんに説教を始めたのです。

ああ良かった、これで物事は解決方向に転じると信じ、私はその場を後にしました。


しかし、その出前のそばがお客さんに届くのがかなり遅れてしまったであろうことは間違いないでしょう。

タクシーの運転手さんがそば代を保証してくれたかどうかは分かりませんが、男の子はそこからそば屋に戻り、店主に状況説明後、そば屋はそばを作り直し、再度出前を届けたことでしょう。

待たされたお客さんにとっては大変迷惑な話です。

しかし、途中で事故に合い、作り直して再度届けられたそば屋の出前もあるのです。

遅くなってしまったすべてを、前述の適当な返事と同様に「そば屋の出前」と言う表現でひとまとめにかたずけられているそば屋さんに、私は同情を禁じ得ません。



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